里子預かりから幼稚園誕生2019.12.6(金)
この岩倉の地には、岩倉具視、東久邇宮稔彦親王、明治天皇の母などが里子として育ちました。
里子とは、他人に養育をゆだねられた子のことです。大正13年には洛北一帯(岩倉、上高野、修学院、一乗寺等)で251人もの里子が確認されております。わずか482軒の岩倉の地に里子が98人もいたのですから驚きです。
我が子への虐待が問題となる昨今からすると他人の子を自分の子と一緒に大切に育てていた洛北は素晴らしい保育機能をもった地域であることが伺えます。
京都のみならず大阪・兵庫の家庭、さらには東京の人もいました。預けられた里子は、今の幼稚園と同じように小学校入学前に実家にほとんど帰りましたが、その後も小学校卒業までいた子が少なからずいました。
里子預かり料は当時の24歳男子の月給程度であったことを考えると、けっして少ない額ではありません。
このように幕末から始められた公家を含む子どもたちの養育が盛んだったことを考えると、この地域は歴史的に保育の重要な地であったことがわかります。
私たちの『京都きらら幼稚園』も100年以上の保育の伝統の地に建てられていることを想うと感慨深いものがあります。これからもこの岩倉の地に根付いた未来を見据えた保育教育をしていきます。
園長 松本 浩二